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母のこと
12.26

予定されていた家族面談が行われた。

母、父、姉、私。


病巣は肺。

肺がんからの

多発性脳転移

がん性心臓腫

リンパ節転移

腹膜転移


ステージは4、末期と言われました。


年齢、全身状態、とうで

抗がん剤、その他治療法はなく

現段階では緩和治療しかない事を告げられました。


加えて、緩和病棟への移転、

または自宅療養、

自宅付近で緩和ケアを行われている病院を探すか、この3つを上げられ…


テンポよく話す主治医の言葉に

何をどう受け入れていいのか分からず、

ただ、結果は


もう、ここがんセンターで行う治療は

一切ない、

自然の経過に任せ見送るということでした。


母は前回と同様、

顔いろひとつ変えず、じっと主治医の説明するモニター一点を見つめていました。

あんな母の顔は初めて見たと、姉が。

そうだな、あんな真剣な眼差しをした顔は初めて見たな。


母は、車椅子に座った態勢が辛くなり話しの途中、ベッドに戻りたいと言った。


話しは中断、身体の痛みに限界がきてる母は

痛みに絶えながら、ベッドに横たわった。


すぐにモルヒネの投与が追加された。


ベッドの両脇にいる姉と私の手をとり

悲しい思いをさせてごめんねと、母は涙を流した。


そして、私の頭をそっと自分の胸に抱き寄せ、何度も何度も私の頭を優しくなでた。


パパのこと、助けてあげて。


と、細い声で言った。


絶望的な宣告の後、それでも私たちのことを心配する母の優しさが何とも言えない気持ちになった。


夕飯が届くころ、再度先生から呼ばれた。

ここからは母は同席せず。

より厳しい内容だった。


肺停止、心臓停止、いつ急変してもおかしくない状態であること。

覚悟をしておくようにと告げられた。


年末の外泊で、急変した場合は、

蘇生処置を行わず、病院に戻れと。

万が一、救急車を呼ぶにしても、蘇生処置は母にとって意味がない、という事だった。


頭が真っ白で、心臓の鼓動が止まなかった。


話し中、父の携帯が何度かなった。

話しが、深刻で割ることができなかたが、どこか、母からの電話ではないかと、胸がざわついた。


やはり、母からの電話だった。


病室に戻ると、手をつけていない食事を前に、母は食欲がないと言った。

姉が差し入れた、釜揚げしらすを昼間はあんなに喜んでいたのに。


何かを察しているようだった。

無口で元気のない顔をしていた。


唯一、お気に入りのアイスか食べたいと言うので、父と売店に急いだ。

半分弱、食べただけだった。

泣くのは今日で終わりだよと。

母は言った。

まるで、自分に言い聞かせているかのように。

ハイタッチと握手をして病室を後にした。


覚悟はしていたが、こんなにも厳しいことを言われるとは思いもしなかった。



まだ、こんなに元気なのに、

急変するだなんて、

誰が信じられるだろうか。


痛みが、長く続くのは嫌だと言った母、

今もひとりで心配させまいと

痛みと懸命に戦っているのだろう。


そんな母のことを思うと、涙が溢れて仕方なかった。

心が負けないように、強い意志を持たなくては!
by home-cafe | 2014-12-27 23:30 | Diary*
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